日本のモチベーションが下がっている構造的要因について

なぜ日本人のモチベーションが低くなっているのでしょうか。その原因について考察しました。

報酬を出せなくなった

企業が成長期の組織と、企業が成熟している組織では、モチベーションの上げ方が大きく異なってきます。

「組織の目的」と「個人の欲求」の矛盾を解決する一つの方法は、報酬です。報酬には、金銭的報酬とポスト(役職)があり、この両者を適宜配分することで、矛盾の多くは解決したという側面があります。

成長期の企業では、この二つの報酬を十分に提供することができました。潤沢な売上により、矛盾は覆い隠されます。増えていく人員を束ねるためのポストも増やす必要がありました。そのポストが個人の欲求と密接につながっている場合も少なくありませんでした。

昇給や賞与、昇進、昇格という報酬を、組織に貢献してくれた従業員に対して、十分に提供できたのです。従業員としては生活が豊かになる上に権限や仕事の幅が増えます。それに伴い新しいやりがいも見いだせるし、がんばれば報われるという希望を見せることができました。

しかし、企業が成熟し売上の拡大が見込めなくなると、売上は増えないためこれを十分に配分することはできません。また人員は増えないためポストを増やす訳にもいきません。

すると、従業員はがんばっても金銭的にも報われないし、ポストも与えてもらえない。これまでと同じ仕事を延々と繰り返し、見通しも立ちにくい。こんな状況におかれてしまいます。

苦肉の策で増えたどういう役職なのかよくわからないポスト名は枚挙にいとまがありません。

これから我が国の組織では後者が増えてくるに違いありません。人口が減少し少なくとも内需は縮小していくからです。事実、この減少は既に起こっており、組織が個人の欲求を満たすための十分な原資は市場から調達しがたくなっています。

内需に頼れないのであれば海外に進出しなければなりません。あるいは新規事業を立ち上げ需要を創造しなければなりません。

私たちは、この限られた原資でどのように個人の欲求を満たしていけば事業を前に進めるエネルギーを手に入れることができるのでしょうか。このことを真剣に考えなければならなくなったのです。

 

人件費の変動費化の呪い

右肩上がりの時代の、企業の継続的成長を前提としたフレームは有効性を失いました。

終身雇用、退職金制度、年功序列型の人事制度。これらの制度に係る支出は、固定費的な、どちらかというと投資的性格を持ち、長い目で見て回収していくというモデルでした。経済構造の変化から、これらのフレームの有効性が失われてきました。

しかし、変化の激しい、先行きが不透明な時代になるとどうしても固定費は怖くなります。経営者の心情としてはどうしても、売上に応じて柔軟に増減する変動費へシフトしたくなります。

そこで出てきたのが成果主義でした。成果に応じて人件費が決まってくるので、より変動費的な性格が強くなります。成果をあげることができれば報酬は増え、成果をあげなければ報酬は減る。非常に合理的なもののように見えます。

しかし、この成果主義は当初の想定に反し、逆にモチベーションを下げる要因にもなっているのです。

そもそも「成果」とは何でしょうか。成果を誰にでも納得できるように測ることなどできるのでしょうか。結論から言うとできません。営業を前提としますと、同じ500万でも売り上げるための難易度が違う場合がありますし、競合の出現、立地、顧客の重要度、運、周辺の施設、取引実績、個人の能力などなどによっても異なります。これを全て数値化し、比較可能な数字にすることなど到底できません。

また、事務部門における成果とは何を想定すればよいのでしょうか。営業部門との比較はどのようにすればよいのでしょうか。技術部門、開発部門との原資の配分はどのようなルールに基づけばよいのでしょうか。そして、数値化できない組織貢献はどう評価すればよいのでしょうか。どうしても得する人と損する人が出てきてしまいます。

さらに、サーベイを実施すると同じ人事制度であるにもかかわらず、人事制度に対する満足度に、部署によって大きな差がある場合があります。それはそもそも、人事制度の運用状況がマネジャーによって異なるということを意味しています。マネジャーの制度運用のまずさや人間性に対する嫌悪感が、人事制度のせいにされてしまう場合もよくあります。

現状の成果主義は、変動費化した押さえられた人件費で、必要な行動を押し付けているという側面は否定できません。そのような状況で従業員の個人欲求は満たされるでしょうか。

モチベーションが下がるのも無理ないことなのです。

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